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仙台高等裁判所 昭和32年(ネ)45号 判決

控訴人 葉山神社

被控訴人 藤沢町

主文

原判決を取り消す。

岩手県東磐井郡藤沢町藤沢字船木三二番地の五山林五町歩は控訴人の所有であることを確認する。

被控訴人は控訴人に対し、右山林につき昭和一一年八月二六日完成した取得時効を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、控訴代理人が、

一、本件山林はもと岩手県東磐井郡藤沢村(現在町)藤沢部落の所有で、同上字船木三二番山林一〇六町九反三畝六歩の一部であつたところ、明治三八年五月二九日藤郷神社がその維持基本財産として右藤沢部落から寄附を受けてその所有権を取得し、その後大正一五年五月二〇日同上字船木三二番の五山林五町歩として分筆登記されたものである。そして、藤郷神社は明治三九年一一月二一日社号を葉山神社(以下第一次葉山神社という。)と改め、その後宗教法人令の施行により昭和二三年一〇月二六日同令に基く宗教法人葉山神社(以下第二次葉山神社という。)となり、次いで、宗教法人法の施行により昭和二七年一二月一八日同法に基く宗教法人葉山神社(以下第三次葉山神社という。)となつたもので、これ現在の控訴人であるが、控訴人は第一次葉山神社の取得した本件山林の所有権を承継取得したものである。

二、被控訴人は、藤沢部落の第一次葉山神社に対する右山林の贈与は虚偽仮装のもので無効である旨抗争するけれども、藤沢村会は明治三八年四月二〇日第一次葉山神社に対し右山林をその維持資産として寄附することを決議しており、これに基いて当時の村長佐伯秀八郎は同年五月二九日当時施行の町村制の定めるところにより郡参事会の許可を受け、次いで大正八年一一月一八日土地台帳上本件山林を字船木三二番山林から分筆して三二番の五として第一次葉山神社名義に所有権移転登記手続をするばかりに準備を整えていたところ、たまたま部落有財産統合のため、大正一五年八月二六日本件山林を藤沢部落有の他の不動産とともに被控訴人名義に便宜一括して移転登記をした。しかし真実右山林の所有権を移転したのではなかつたので、村長佐伯秀八郎は後日速かに第一次葉山神社名義に移転登記をする旨を約したのであつたがこれを果たさず、かえつて登記名義がたまたま被控訴人にあることを奇貨として本件山林の所有権を主張するに至つた。それゆえ、藤沢部落と被控訴人間の右山林に関する贈与契約こそ虚偽仮装のもので無効であり、したがつて被控訴人名義の所有権移転登記は原因を欠き無効である。

三、仮に、被控訴人がその主張のように、藤沢部落から本件山林の寄附を受け、大正一五年八月二六日その旨移転登記を経由した結果、第一次葉山神社においてその所有権の取得をもつて被控訴人に対抗し得ざるに至つたとしても、右登記後、第一次葉山神社は所有の意思をもつて平穏公然、かつ占有の始め善意無過失で右山林の占有を継続して来たのであるから、これより一〇年経過後の昭和一一年八月二五日、仮に占有の始め善意無過失でなかつたとしても、二〇年経過した昭和二一年八月二五日限り時効の完成によりこれが所有権を取得したものである。被控訴人は、控訴人の主張する時効の基礎たる事実の開始されたのは、明治三八年五月二九日であるから、これを起算点として時効完成の時期を定めるべく、任意に時効期間の起算点を選択してこれを右登記の日たる大正一五年八月二六日とすることは許されない旨主張するが、控訴人の前々主第一次葉山神社のした明治三八年五月二九日から大正一五年八月二五日までの本件山林の占有は、自己の所有物に対する占有であつて、他人の物の占有ではない。したがつて、この期間の占有は、取得時効の完成に必要な占有期間に計算すべきものではない。右山林が二重に被控訴人に譲渡され、そして登記されたがために、第一次葉山神社において被控訴人に対抗できなくなつた結果、その所有権が被控訴人に帰属したのは、まさに登記の日たる大正一五年八月二六日であるから、第一次葉山神社の同日以後の占有は他人の物の占有であり、これから一〇年または二〇年を経過することによつて本件山林につき取得時効が完成すべきものである。それゆえ、被控訴人が主張するように、任意に時効期間の起算点を選択したものではない。

四、仮に第一次葉山神社が藤沢部落から本件山林の寄附を受けたことがなく、したがつて右山林に対する占有が当初から他人の物の占有であり、その取得時効が一〇年または二〇年経過後に完成した後、被控訴人が右山林の所有権を取得し、登記をしたがために右時効取得をもつて被控訴人に対抗できなくなつたとしても、第一次葉山神社は右登記後も引き続き右山林の占有を継続して来たから、これより一〇年後の昭和一一年八月二五日または二〇年後の昭和二一年八月二五日にそれぞれ取得時効が完成したのであり、そして右時効取得につき登記なくして被控訴人に対抗し得るものである。

五、被控訴人は、藤郷神社(第一次葉山神社)、第二次葉山神社、第三次葉山神社たる控訴人はそれぞれ別個の手続で設立された別個の法人格であるから、仮に第一次葉山神社が時効によつて本件山林の所有権を取得したとしても、当然には控訴人において右山林の所有権を取得するいわれはないと主張するけれども、神社は民法施行前の各種法令においても財産権の主体と認められ、民法施行法二八条によつてもこのことが窺われるところ、第一次葉山神社は祠宇及び氏子並びに主神の鎮祭と祭祀を行う社掌があつて、神饌幣帛料を供進する神社として、知事の保管にかかる神社明細帳に記載された法人格ある神社であつた。その後宗教法人令の施行により宗教法人(第二次)葉山神社となり第一次葉山神社の法人格を承継し、さらに宗教法人法の施行により宗教法人(第三次)葉山神社が設立されたが、これは第二次葉山神社の地位人格を承継したもので、別個の宗教法人が新たに設立されたものではない(宗教法人法附則一八項は、宗教法人令による旧宗教法人が解散し、新宗教法人がその権利義務を承継する旨規定しているが、右規定は新旧両法人の登記事項の整理上設けられた形式的手続的なもので、実質的意義を有するものではない)。仮に右各神社が別個独立の法人格を有するものであるとしても、それぞれ前主の権利義務を包括的に承継したのであるから、控訴人は当然に本件山林の所有権を取得したものであり、そして右取得につき登記なくして被控訴人に対抗し得るものである。けだし、本件山林の時効による物権変動の当事者は被控訴人と第一次葉山神社であり、控訴人は第一次葉山神社の包括承継人であるからである。

以上のとおり述べ、被控訴代理人が、

一、第一次葉山神社、第二次葉山神社及び第三次葉山神社たる控訴人は、本件山林を、少くとも控訴人が時効期間の起算点として主張する大正一五年八月二六日以降において占有した事実はない。控訴人が主張する本件山林の雑木の公売処分はただの一回にすぎず、しかも、その際被控訴人の収入役がこれに臨み、代金の授受をしているのである。一回や二回の雑木の公売処分をしたからといつて、本件山林の占有を継続したということはできない。かえつて、被控訴人において右山林から橋梁用材を伐採したり、消防団員や在郷軍人分会員による監視見廻りを毎年実施し、これに要する経費を年々予算に計上して来たのである。第一次葉山神社が村社であつた時代においては、被控訴人が本件山林を管理して来たのであつて、右神社がこれを管理した事実はない。右山林に生立する杉立木は、被控訴人が部落民をして植栽させたもので、その後の手入もすべて被控訴人においてして来たものである。

二、控訴人もしくはその前主らは本件山林を占有した事実がないのみならず、所有の意思がなかつたことは、控訴人もしくはその前主らにおいてかつて右山林の公租公課を負担した事実がないこと及び神社所有財産台帳に右山林を登録もせず、また宗教法人法施行後も神社財産として届出をしていない事実によつて明らかである。

三、控訴人は明治三八年五月二九日から現在まで本件山林の占有を継続して来たと主張しながら、そのうち大正一五年八月二六日からの占有のみを主張することは許されない。けだし、時効完成の時期を定めるには、時効の基礎たる事実が法律に定めた時効期間以上に継続した場合においても、必ず時効の基礎たる事実の開始された時を起算点として計算すべきもので、取得時効の援用者において、任意に起算点を選択できないことは、今日すでに確立した判例である。控訴人は第一次、第二次、第三次葉山神社の現在に至るまで終始一貫せる同一人格として本件山林の占有を継続して来たというのであるが、それならば、控訴人は一個の人格による一貫した一個の時効期間を主張していることが明らかで、それを自己に都合のよいそのうちの一部分、すなわち大正一五年八月二六日以降の分だけを勝手に切り離して主張することは許されない。それゆえ、仮に第一次葉山神社が時効完成により本件山林の所有権を取得したとしても、明治三八年五月二九日から一〇年後の大正四年五月二九日、または二〇年後の大正一四年五月二九日にいずれも時効が完成したことになり、そしてその旨の登記をしていないから、その後大正一五年八月二六日右山林の所有権を取得し移転登記を経由した被控訴人に対抗できない筋合である。

四、仮に、控訴人主張のように、大正一五年八月二六日を時効期間の起算点とすることが許されるとしても、第三次葉山神社たる控訴人が本件山林の所有権を取得するいわれはない。すなわち、控訴人は昭和二七年一二月一八日設立にかかる宗教法人法による宗教法人であつて、昭和二三年一〇月二六日設立された旧宗教法人令による宗教法人たる第二次葉山神社とは別個の人格であり、また第二次葉山神社は、その前身たる第一次葉山神社とも人格を異にする。それゆえ、控訴人主張のように昭和一一年八月二五日または昭和二一年八月二五日時効が完成したとしても、これはいずれも第一次葉山神社の時代に該当する。時効によつて本件山林の所有権を取得したのは第一次葉山神社であるのに、第二次葉山神社さらには第三次葉山神社たる控訴人が、何らの譲渡行為なくして当然に前主の所有権を取得すべき理由はない。仮に控訴人が包括承継により右山林の所有権を取得したとしても、登記をしていないから、これをもつて第三者たる被控訴人に対抗し得ない。

以上いずれの点よりするも、控訴人の主張は失当であると述べ、

証拠として、控訴代理人が甲第二四号証の一、二を提出し、乙第一二号証の成立を認めると述べ、被控訴代理人が、乙第一二号証を提出し、当審証人高橋長太郎の証言を援用し、甲第二四号証の一、二の成立を認めると述べたほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。(原判決三枚目表一行目「原告代表者本人尋問の結果」とあるのは、「原告代表者(第一、二、三回)本人尋問の結果」の誤記と認めるので、右のように訂正する。)

理由

本件山林はもと岩手県東磐井郡藤沢村(現在町)藤沢部落の所有で、同上字船木三二番山林一〇六町九反三畝六歩の一部であつたがその後三二番の五山林五町歩に分筆され、次いで同年八月二六日被控訴人に対し寄附を原因とする所有権移転登記が経由されたことは当事者間に争がない。

控訴人は、その前々主藤郷神社(第一次葉山神社)はこれよりさき明治三八年五月二九日藤沢部落から本件山林の寄附を受けてその所有権を取得したのであり、そして、同部落から被控訴人への前示贈与は虚偽表示であるから無効である旨主張するので、まずこの点について判断する。成立に争のない甲第一七号証、原審での控訴人代表者藤村富雄(第一、二回)の本人尋問の結果によりいずれも真正に成立したものと認められる甲第一ないし第四号証、第五号証の一、二、第六号証、第七号証の一、二、第一六、一七号証前記藤村富雄の供述を総合すれば、藤沢村は明治三八年四月二〇日村会の決議をもつて、藤沢部落有財産であつた本件山林を維持基本財産として藤郷神社(明治三九年一一月二一日社号を改め((第一次))葉山神社となる)に寄附することとし、次いで当時施行の町村制の規定に基き、同年五月二九日郡参事会の許可を受け、かくてそのころ右山林の引渡を了したのであつたが、いまだ分筆及び所有権移転登記を経由しなかつたことを認めることができ、右認定に反する原審(第一、二回)及び当審証人高橋長太郎の証言は、前記各証拠に照らしにわかに措信し難い。もつとも、表紙及び職印の部分につき成立に争がなく、原審での鑑定人佐々木浩一の鑑定の結果に徴し全部真正に成立したものと認められる乙第二号証「神社財産その他調の件」と題する書面の記載によれば、第一次葉山神社の神社財産として本件山林が掲記されていないことが明らかであるが、しかし、前記甲第五号証の一、二、第六号証によれば、同神社々掌藤村元衛は、「県二〇八七号神饌幣帛料を供進すべき神社調の件」に基き明治三九年一一月藤沢村長佐伯秀八郎宛に書面を提出したが、これには、右神社の境外地として山林五町歩が記載されている事実及び大正一五年一一月二六日「社有林実地検査」のため、県山林課技手が出張して本件山林を調査した事実がそれぞれ認められるのであつて、これらの事実を併せ考えれば、藤村元衛が乙第二号証を村長佐伯秀八郎に提出するに際し、本件山林を記載しなかつたのは、忘失してこれを脱落したか、さもなければ、右山林が未登記であつたがために意識的にこれを記載しなかつたものと推認される。それゆえ、右乙第二号証の記載のみをもつてしては、いまだ前認定を左右するに足りず、その他被控訴人の提出援用する全立証をもつてしても、右認定を覆えし、右山林の贈与が単に第一次葉山神社の社格維持の便法として、真実所有権を移転する意思なくして行われた虚偽表示であるとの被控訴人主張事実を認めることができない。

ところで、一方、被控訴人は藤沢部落から本件山林の寄附を受け、大正一五年八月二六日その旨の所有権移転登記を経由したと主張し、そのような登記の記載のあることは当事者間に争がないところ、控訴人は、右は真実所有権を移転する意思なくして行われた虚偽表示で無効である旨抗争するので考えてみるのに、成立に争のない乙第九号証、原審(第一、二回)及び当審証人高橋長太郎の証言によれば、大正一三年ごろ国の勧奨に基き部落有財産の統合が行われた際藤沢村内の部落有財産を村有に統合することとなり、大正一三年七月一八日村会の決議をもつて、本件山林は依然藤沢部落有であるとしてこれを被控訴人に寄附する旨の決議をし、次いで大正一五年八月二六日その旨の所有権移転登記を経由したことが認められ、右認定に反する原審での控訴人代表者藤村富雄の第一回供述部分は措信し難く、他に控訴人の提出援用にかかる全立証をもつてしても、右認定を覆えし、藤沢部落の被控訴人に対する本件山林の贈与が虚偽表示であるとの控訴人主張事実を認めることができない。してみれば、第一次葉山神社は、本件山林の所有権の取得をもつて、その後二重にこれを譲り受け、その移転登記を経由した被控訴人に対抗できないことが明らかである。

よつて次に、控訴人の取得時効の主張について判断する。原審での控訴人代表者藤村富雄の第一、二回供述により真正に成立したものと認められる甲第八号証の一ないし五、第九、一〇、一二号証、第二一号証の一、二、原審証人小野寺寅彦の証言により真正に成立したものと認められる甲第一四号証、原審証人橋本亮平、熊谷正治、及川与吉、小野寺寅彦の各証言、前記藤村富雄の第一、二回供述によれば、第一次葉山神社は明治三八年五月二九日藤沢部落から本件山林の寄附を受けるや、翌三九年四月一五日岩手県神職督努所に、一〇ケ年計画で右山林に杉苗一、五〇〇本を植栽する旨を届出で、そのころ氏子である橋本慶吉から杉苗の寄贈を受けてこれに植林し、以来年々下刈りなどをしてその保護育成に努め、また、大正四年ごろ右山林の枯損木を、大正一二年三月及び昭和六年四月ごろ、雑木をそれぞれ部落民に売却し、その売得金をもつて神饌所の新築経費その他の維持費に充てるなどして右山林の使用収益を続け、第二次、第三次葉山神社となつてからも、前同様右山林を所有の意思をもつて平穏公然に占有し現在に至つた事実を認めるに十分である。右認定に反する原審証人高橋長太郎(第二回)の供述部分は措信しない。そして右認定の事実によれば、第一次葉山神社が右占有を始めるに際し、善意無過失であつたことが明らかである。

もつとも、原審証人佐藤富人、熊谷秀一郎、畠山惣平、千葉忠、阿部武彦、原審(第一、二回)及び当審証人高橋長太郎の各証言によれば、第一次、第二次葉山神社及び第三次葉山神社たる控訴人は本件山林の公租公課を負担したことはなく、被控訴人において現在までこれを納付して来たこと、被控訴人は昭和二二年ごろ橋梁用材として本件山林から三本の杉立木を伐採したことがあり、そして毎年山林の盗伐及び野火の防止のため消防団員等をして本件山林を含む町有林約三六〇町歩を監視見廻りさせ、これに要する費用を予算に計上して来た事実を認め得るけれども、第一次、第二次葉山神社及び控訴人が本件山林の公租公課を負担しなかつたのは、右山林の所有名義が被控訴人にあるため賦課されなかつたまでであり、また被控訴人において橋梁用材として僅かに杉立木三本を伐採したからといつて、このため控訴人またはその前主の占有が奪われたことにならないのはもちろん、その占有が平穏公然性を失うに至つたものとはいえない。なおまた、被控訴人において本件山林の監視見廻りを続け、そのための費用を年々支出したとはいえ、それはひとり右山林のみならずその附近にある他の町有林約三六〇町歩を含めてのことであるから、特に本件山林について、控訴人またはその前主らの占有を排除してまで占有を継続したことにはならない。それゆえ、右事実だけでは、控訴人らの本件山林に対する占有が、所有の意思をもつてする平穏公然の占有であり、かつ占有の始め善意無過失であつたとの前認定を妨げるに足りるものではない。

ところで、控訴人は、時効期間の起算点は、本件山林につき被控訴人が所有権移転登記を経由した大正一五年八月二六日であり、これより一〇年を経過した昭和一一年八月二五日、または二〇年を経過した昭和二一年八月二五日限り取得時効が完成し、右山林は第一次葉山神社の所有に帰した。そしてこれについては登記なくしても被控訴人に対抗し得ると主張する。第一次葉山神社が本件山林の占有を始めたのは、前示のとおり、明治三八年五月二九日であるから、控訴人が大正一五年八月二六日を時効期間の起算点と主張することは、「時効完成の時期を定めるに当つては、取得時効の基礎たる事実が法律に定めた時効期間以上に継続した場合でも、必ず時効の基礎たる事実の開始された時を起算点として計算し、これが完成の時期を決定すべきものであつて、取得時効の援用者において任意にその起算点を選択し、時効完成の時期を或は早く、或は遅くし、もつて対抗要件の存在を不必要ならしめることはできない。」との従来の判例(昭和一三年五月七日、昭和一四年七月一九日大審院判例)に牴触するかの如くではある。この点に関し、控訴人は、大正一五年八月二六日は本件山林の所有権が被控訴人に帰属した時であり、それまでは第一次葉山神社は自己の所有であつた右山林を占有して来たのであるから、その間の占有は時効期間に算入すべきものではない。時効が進行を始めたのは、本件山林が被控訴人の所有になつた大正一五年八月二六日であるから、当然これが起算点となるべく控訴人において任意に起算点を選択したものではない、と主張するけれども、前認定のとおり、第一次葉山神社が右山林の所有権取得をもつて被控訴人に対抗できなくなつた結果、被控訴人に対する関係では、当初から右山林の所有権を取得しなかつたことになる筋合であるから、第一次葉山神社の占有は、当初から、すなわち明治三八年五月二九日から他人の物(大正一五年八月二五日までは藤沢部落の、その後は被控訴人の)を占有して来たことになるわけであるそして、前認定のとおり、第一次葉山神社の右山林に対する占有はその始め善意無過失であつたのであるから、明治三八年五月二九日から一〇年を経過した大正四年五月二九日に取得時効が完成したものというべく、被控訴人は右時効完成後に、右山林の所有権を取得し、その旨移転登記を経由したのである。時効完成後登記をしないでいる間に、第三者が旧所有者から同一物件の所有権を取得し、かつその登記をしたときは、時効取得者はこの第三者に対しては時効取得を対抗できない結果、その第三者に対する関係では、占有の当初にさかのぼつて所有権を取得しなかつたことになる。もとより時効取得者の占有は、占有を開始したときから終始一貫して継続しているわけで、その間所有者の変動によつて時効が中断されるいわれはないが、しかし、旧所有者から所有権を取得した第三者が登記をしたときは、右登記によつて時効が中断せられ、この登記の後時効取得者においてさらに一〇年または二〇年占有を継続したときは、その時に改めて時効が完成し、この第三者に対し時効取得を対抗し得るものと解すべきである。それならば、第一次葉山神社は本件山林に対する時効取得をもつて登記を経た被控訴人に対抗し得なかつたのであるが、右登記後も引き続き一〇年間所有の意思をもつて平穏公然かつ善意無過失で右山林の占有を継続して来たのである(このことは前認定により明らかである)から、大正一五年八月二六日から一〇年を経過した昭和一一年八月二六日限り改めて取得時効が完成し、そして第一次葉山神社は右時効取得につき登記を経なくとも被控訴人に対抗し得るに至つたものといわなければならない。けだし、この場合、被控訴人は時効による物権変動の当事者であつて第三者ではないからである。

ところで、前記甲第五号の一、二、成立に争のない甲第二四号証の一、二乙第四、一〇、一二号証、原審での控訴証人代表者藤村富雄の第一、三回供述によれば、藤郷神社(第一次葉山神社)は祠宇及び氏子と主神の鎮祭を行う社掌があつて、神饌幣帛料を供進する神社として知事の保管にかかる神社明細帳に記載された法人格ある神社であり、次いで宗教法人令(昭和二〇年一二月二八日勅令第七一九号)の施行により、第一次葉山神社は同令附則(昭和二一年二月二日勅令第七〇号)の規定に基き、規則を作成して知事に届出で、昭和二三年六月三〇日同令による宗教法人葉山神社(第二次)となり、さらに宗教法人法(昭和二六年四月三日法律第一二六号)の施行により、第二次葉山神社は同法附則五項の定めるところに従い所定の規則を作成して認証を申請し、昭和二七年一二月一八日同法による宗教法人葉山神社(第三次)として設立されたものであることが認められる。被控訴人は、第一次第二次葉山神社、第三次葉山神社たる控訴人はいずれも別個独立の法人格を有するものであるから、控訴人において前々主第一次葉山神社からその時効取得にかかる本件山林の譲渡を受けるのでなければ、これが所有権を取得するに由がなく、仮にそれが包括承継によるものであるとしても、登記がなければ第三者たる被控訴人に対抗できない旨主張するけれども、宗教法人令附則二項によれば、同令施行当時知事の保管にかかる神社明細帳に記載された神社はこれを同令による法人とみなすと規定しているので、同令による新宗教法人は旧法人の人格を承継したものと解すべきであり、そしてまた、宗教法人法附則三項によれば、同法施行の際現に存する宗教法人令の規定による宗教法人は、宗教法人法施行後も、同令の規定による宗教法人として存続することができる旨を規定するとともに、同法附則五項によれば、規則を作成し、認証を受け、設立登記をすることによつて、宗教法人法の規定による新宗教法人となることができるものと定めた。そして同附則一八項によれば、五項の規定により新宗教法人となつたときは、設立登記の日において、旧宗教法人は解散し、その権利義務は新宗教法人が承継するものと規定している。それゆえ、本件において、第一次葉山神社と第二次葉山神社は人格の同一性を持続して来たものであり、第二次葉山神社は第三次葉山神社の設立と同時に解散し、後者は前者の権利義務を包括的に承継したものというべく、したがつて第一次葉山神社が時効によつて取得した本件山林の所有権は第二次葉山神社を経て第三次葉山神社たる控訴人が承継取得したものといわなければならない。そして、第一次葉山神社と被控訴人とは、本件山林の時効による物権変動の当事者であるから、第一次、第二次葉山神社の包括承継人たる控訴人は、登記なくして右時効取得を被控訴人に対抗し得ること明らかである。

してみれば、本件山林は控訴人の所有であり、したがつて、被控訴人は控訴人に対し時効取得を原因とする所有権移転登記手続をする義務があるところ、被控訴人は右山林の所有権を争うので、控訴人はこれが所有権確認を求める即時確定の利益があるから、控訴人の本訴各請求はいずれも正当として認容すべきものである。しかるに、右と異る見解のもとに控訴人の本訴各請求を棄却した原判決は不当であるから、これを取り消すべきものとし、民訴法三八六条、九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 籠倉正治 岡本二郎 佐藤幸太郎)

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